東京地方裁判所 平成10年(ワ)9870号 判決
原告 西脇雅良
原告 西脇恵美
原告 平塚文武
原告 平塚康仁
右四名訴訟代理人弁護士 水永誠二
被告 国
右代表者法務大臣 臼井日出男
右指定代理人 栗原壯太
同 石川利夫
同 向山敏明
同 宮林征夫
同 増田幸三
同 柳田徳夫
主文
一 原告らの請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実及び理由
第一請求
一 原告西脇雅良及び原告西脇恵美(以下、両原告を合わせて「原告西脇ら」という。)が別紙物件目録(一)記載の土地(以下「本件(一)土地」という。)について所有権を有することを確認する。
二 原告平塚文武及び原告平塚康仁(以下、両原告を合わせて「原告平塚ら」という。)が別紙物件目録(二)記載の土地(以下「本件(二)土地」といい、本件(一)土地と合わせて「本件各土地」という。)について所有権を有することを確認する。
第二事案の概要
本件は、国有地に隣接して土地を所有する原告らが、本件各土地は自己所有地に含まれるとして、これを国有地であると主張する被告に対し、所有権を有することの確認を求める事案である。
一 判断の前提となる事実等
(証拠等を掲記した事項以外は当事者間に争いがない。)
1 関係各土地の所有権及び位置関係
(一) 原告西脇らは、羽村市玉川一丁目四二五九番の七原野九九平方メートル(以下、羽村市玉川一丁目所在の土地については地番で表示する。)を所有(原告西脇雅良が五分の一、原告西脇恵美が五分の四の持分による共有)している。(甲第一号証の一、弁論の全趣旨)
(二) 原告平塚らは、四二六三番三の土地(宅地、二二〇・八八平方メートル)を所有(原告平塚文武及び原告平塚康仁が各二分の一の持分による共有)している。(甲第二号証、弁論の全趣旨)
(三) 被告は、四二五九番の七の土地及び四二六三番三の土地の南西に隣接する無番地の国有地(いわゆる法定外公共用財産としての赤道、用水路及びこれに付属する土場敷で、別紙図面(三)にそれぞれ赤色、水色及び茶色で着色した部分。以下、これらを合わせて「本件国有地」という。)を所有していた。
(四) 右(一)ないし(三)の各土地のおおよその位置関係は別紙図面(三)記載のとおりである。
2 関係各土地の分筆及び所有権移転の経緯等
(一) 四二五九番の七の土地は、昭和三九年一月一二日に同番の二の土地から分筆された土地であるが、もと井梅實が所有していたところ、同月一一日売買により畑中幸作(同月一六日受付で所有権移転登記経由)に、昭和六一年二月一日交換により高梨絢子(同月一七日受付で所有権移転登記経由)に、平成二年九月二〇日売買により熊谷建設株式会社(同日受付で所有権移転登記経由)に、平成三年九月二〇日売買により原告西脇ら(同日受付で所有権移転登記経由)に順次所有権が移転された。そして、同土地は、畑中幸作が昭和四六年一一月九日ころに居宅を建築して占有を開始し、その後、高梨絢子及び高梨政延、熊谷建設株式会社を経て、原告西脇らに占有が承継された。(甲第一号証の一、三、弁論の全趣旨)
(二) 四二六三番三の土地は、平成六年五月六日に同番一の土地から分筆された土地であるが、もと古谷茂が所有していたところ、同年九月一六日売買により株式会社産和エステート(同月二二日受付で所有権移転登記経由)に、平成七年三月二八日売買により原告平塚ら(同月二九日受付で所有権移転登記経由)に順次所有権が移転された。そして、同土地は、古谷茂が昭和三八年四月ころ占有を開始し、その後、株式会社産和エステートを経て、原告平塚らに占有が承継された。(甲第二号証、弁論の全趣旨)
3 原告らと被告との間の係争
羽村市が地籍調査を施行するに際して公図の記載を根拠に本件各土地が本件国有地に属するものとして官民境界の確認を求めたことから、本件(一)土地を所有する旨主張する原告西脇ら及び本件(二)土地を所有する旨主張する原告平塚らと被告との間で紛争が生じた。
二 当事者双方の主張の要旨
1 原告ら
(原告西脇ら関係)
(一) 本件(一)土地は、四二五九番の七の土地の一部であるから、原告西脇らがその所有権を有している。
(二) 仮に本件(一)土地が本件国有地の一部であるとしても、畑中幸作は、昭和四六年一一月九日ころ居宅を建築するに際し、その当時の現況から本件(一)土地を四二五九番の七の土地の一部であると認識して占有を開始し、以後同人及び熊谷建設株式会社においてその占有を継続してきたから、右占有開始時点から一〇年を経過した昭和五六年一一月九日ころ又は二〇年を経過した平成三年一一月九日ころに取得時効が完成した。原告西脇らは、本訴において右時効を援用する旨の意思表示をした。
なお、公共用財産が長年の間事実上公の目的に供用されることなく放置され、公共用財産としての形態、機能を全く喪失し、その物の占有により実際上公の目的が害されることもなく、もはやその物を公共用財産として維持すべき理由がなくなった場合には、黙示的に公用が廃止されたものとして、これについて取得時効の成立を妨げないと解されるところ、本件各土地については、明治四〇年に付近一帯の土地が大洪水により流出した後、大正四年竣工の堤防再構築により畑地が復活した際、従前存在した水路及び土場敷が復元しなかったものであり、遅くとも第二次世界大戦終了のころには既に用水路は存在しておらず、それ以降畑地又は宅地として占有、使用されてきたのであるから、黙示的な公用廃止がされた場合に当たり、本件(一)土地につき取得時効の成立が認められるべきである。
(原告平塚ら関係)
(一) 本件(二)土地は、四二六三番三の土地の一部であるから、原告平塚らがその所有権を有している。
(二) 仮に本件(一)土地が国有地の一部であるとしても、古谷茂は昭和三八年四月ころその当時の現況からこれを四二六三番三の土地の一部であると認識して占有を開始し、以後その占有を継続してきたから、右占有開始時点から一〇年を経過した昭和四八年四月ころ又は二〇年を経過した昭和五八年四月ころに取得時効が完成した。原告平塚らは本訴において右時効を援用する旨の意思表示をした。
なお、本件(二)土地についても前記と同様の理由により黙示的な公用廃止がされたものとして取得時効の成立が認められるべきである。
2 被告
(一) 本件各土地は、四二五九番の七の土地及び四二六三番三の土地の南西に隣接して存在する本件国有地に属するから、被告が所有権を有する。
(二) 仮に原告らの主張する期間占有が継続したとしても、本件各土地はいわゆる法定外公共用財産であり、黙示的に公用廃止となった状況にはないから、取得時効は成立しない。
第三当裁判所の判断
一 証拠(甲第三、第四号証、第六号証、乙第一ないし第四号証、第六、第七号証)及び弁論の全趣旨によると、本件各土地を含む付近一帯の土地は、古くは多摩川と玉川上水に挟まれた農地であり、分筆前の四二五九番及び四二六三番の各土地の南西側に隣接して用水路と里道があったこと、明治四〇年の多摩川の大洪水により堤防が決壊して農地等が流出したが、大正四年に竣工した堤防再構築により農地が復活し、その際、道路等の公共用財産も復元されたこと、その後、宅地化が進んで農地が減少し、住宅街となっていること、本件各土地の南西側に所在する道路は、昭和三〇年四月六日に幅員三・六メートルとして市道認定がされたが、現況幅員は約三・八メートルであり、アスファルト舗装され、公衆の通行の用に供されていること、現在においては右道路付近に用水路及び土場敷としての形状を保持した部分は存在しないこと、以上の各事実が認められる。
ところで、甲第三号証及び乙第二号証の公図には、本件国有地に相当する部分に南から北に順に「巾九尺、用水路五尺、土場敷四尺」と記載されており、ほぼ右の幅員の道路敷地、用水路及びこれに付属する土場敷が存在していたものと推認される。ところが、現況においては用水路及び土場敷が見当たらないことは前判示のとおりであり、これらがいつの時点でその形状を喪失したのかは定かでないものの、用水の確保が農業経営上重要であることにかんがみれば、付近一帯が宅地化され、農地が減少する過程で埋め立てられたものと考えるのが合理的である。そして、大正一一年製図の西多摩村全村図(乙第三号証)及び昭和一六年製図の西多摩村土地寶典(乙第五号証)に用水路が表示されていることをも併せ考慮すると、原告らが主張するように大洪水後の農地修復の際に既にその形状を喪失したとみるのは困難である。もっとも右修復の前後において道路及び用水の位置が正確に一致しているのかは詳らかでないが、少なくとも大正四年以降これらの位置が大きく変更されたことを窺わせる証拠はないから、元は現況の道路とほぼ同一の場所に約九尺(約二・七二七メートル)の道路敷地、幅員約五尺(約一・五一五メートル)の用水路、幅員約四尺(約一・二一二メートル)の土場敷があったところ、後にこれらが一体として道路の敷地として用いられるに至ったとみるのが相当である(なお、公図は距離、幅員等の定性的な事項については正確性を欠くきらいがあるから、右の数値を厳密にとらえることはできない。)。
そうすると、本件国有地は、全幅員が約五・四五メートルあるけれども、現況幅員三・八メートルを超える部分はその両側の土地に取り込まれているとみることができる。そして、証拠(甲第四号証、第六号証、乙第六号証)及び弁論の全趣旨によると、現況道路両側にはほぼ平行して宅地が連続して所在していることにかんがみると、本件国有地の位置及び範囲は、おおむねその中心線から北東及び東南の両側に全幅員(約五・四五メートル)のほぼ半分(約二・七二五メートル)ずつの間隔で画された線の範囲内であると認めるのが相当である。
以上によると、本件国有地が元来所在していた位置を厳密に特定することは困難であるけれども、原告らの主張する本件各土地の北東側の線(別紙図面(一)のア点とカ点を結んだ線、別紙図面(二)のサ点とセ点を結んだ線)はいずれも道路中心線から東南側に二・七二五メートル隔てた平行線であるから、本件各土地はいずれも本件国有地に含まれると認める余地が十分にあり、その反面、右の可能性を否定して本件各土地が四二五九番の七の土地及び四二六三番三の土地に含まれるとみることは困難である。
二 そこで、続いて取得時効の成否について検討するに、証拠(甲第四号証、第六号証、乙第六号証)及び弁論の全趣旨によると、本件各土地は、現況において市道として公衆の通行の用に供されている道路敷地に隣接し、宅地ないし通路の一部に取り込まれている、その幅が一メートルに満たない(本件(一)土地につき約九〇センチメートル、本件二土地につき約七〇センチメートル)部分であると認められる。
ところで、公共用財産について取得時効が成立するためには、長年の間事実上公の目的に供用されないまま放置され、公共用財産としての形態、機能を全く喪失した状態にあり、他人の占有の継続により実際上公の目的が害されることがなく、これを公共用財産として維持すべき理由がなくなったことを要するものと解される(最高裁昭和五一年一二月二四日判決・民集三〇巻一一号一一〇四頁)。
これを前判示の各事実に照らして考察するに、宅地ないし通路に取り込まれた部分に限ってみれば、公共用財産としての形態を失っているといえないわけではない。しかしながら、公共の用に供されるべき国有財産は、その供用目的に照らして全体的に把握することが必要であり、その一部分だけを取り上げて機能喪失の有無を判定すべきではないから、現況の道路敷地が公共用財産としての形態、機能を喪失しているとみることは相当でない。また、現に道路としての機能を果たしている国有地の一部がこれに隣接する私有地に取り込まれただけでその部分を公共用財産として維持すべき理由がなくなったということができないことも明らかである。そして、弁論の全趣旨によれば、本件各土地が所在する玉川一丁目に隣接する玉川二丁目においては、本件国有地の幅員が公図上の表示どおりであるとの前提の下に地籍調査を行ったことが窺われるから、これに接続する本件国有地についても、その片側幅員を二・七二五メートルとして全体として道路としての機能を全うできるようにする必要があるというべきであり、したがって、本件各土地について、他人の占有の継続により実際上公の目的が害されることがなく、これを公共用財産として維持すべき理由がなくなったと即断することはできない。
そうすると、本件各土地については時効取得が成立する余地はないというべきであり、原告らの主張を採用することはできない。
三 以上の次第で、原告の本訴請求は理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法六一条、六五条一項を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 齋藤隆)
物件目録
(一) 羽村市玉川一丁目に所在する別紙図面(一)表示のア・イ・ウ・エ・オ・カ・キ・アの各点を順次直線で結んだ範囲内の土地部分(約九・三七平方メートル)
(二) 羽村市玉川一丁目に所在する別紙図面(二)表示のサ・シ・ス・セ・サの各点を順次直線で結んだ範囲内の部分(約二・一七平方メートル)
以上